玉砂利と節分の豆にみる北海道の合理性 | 旭川皮フ形成外科クリニック旭川皮フ形成外科クリニック

旭川大好き、ギャオー
コラム 旭川大好き、ギャオー 2016年8月23日

玉砂利と節分の豆にみる北海道の合理性

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明治神宮のホームページによれば 玉砂利の玉には「たましい(魂)」「みたま(御霊)」の「タマ(霊)」と同じ意味と 「玉の声」「玉のような赤ちゃん」というように 「美しい」「宝石」「大切なもの」という意味もあるんだそうです。
そして「砂利」はあて字で、本来「じゃり」は 細かい石の意味の「さざれ(細石)」からきています。
つまり、ミタマの籠もった 美しい・宝石のような・大切な小さい石という意味なのだそうです。


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上川神社も神社ですから、やはり参道には玉砂利が敷いてあります。
本家筋の伊勢神宮のような白石を望むべくはありませんが 玉砂利?と名乗るには、いささか気恥ずかしくなるような ホームセンターの量り売りレベルの 大小不揃いすぎる小石達が、敷き詰められています。
東京から遊びに来た友人達からは 「いかにも北海道的。大雑把だねぇ」と変な感心されてしまいます。


北海道の良さは、歴史がないことに起因する合理性です。

玉砂利もそうですが、節分の豆も内地者のド胆を抜くようです。
北海道では、節分の豆は煎り豆(大豆)ではなく、
鬼の目には、いささか大き過ぎて入りようもない落花生。
それも、お掃除が楽ちんで
後から撒いた落花生を拾って食べるので、衛生的な理由もあり、殻付きです。
「おいおい、豆なら何でも良いのかよ」と思われるかもしれませんが
それどころか、旭川では
銀紙に包んだ個包装されたチョコを播くのも人気です。

生粋の道産子のヒサコは、個人的には
殻付きの落花生もチョコの合理性も、全然ありだなとは思うんです。
そして、同時に、本来の歴史的な意味合いを踏まえた上で
玉砂利や、節分のチョコレートを提示し、体験へと繋げることは
中国人の爆買いが終息し
WeChat(微信)であっという間に情報が拡散する時代に於いては
寧ろ、北海道にとって、体験型の観光資源となりうる可能性だってあります。

でも、先日、お盆で帰省した友人達と
プチ同窓会でご飯を食べに行った創作日本料理のお店は
コース内容としてのコスパは良いのに、サービスは最低でした。
テーブルの端っこに、何で、人数分のお茶を置いちゃう?
何で、個別にサーブしない?
大した手間じゃあるまいし…。
単なる合理性の延長線上にある、サービス精神のなさは
さすがに、観光資源として売り物にはなりません。
表裏一体。
実践となると、なかなか難しいものです。