鱧(はも)を食べながら考えた。 | 旭川皮フ形成外科クリニック旭川皮フ形成外科クリニック

旭川大好き、ギャオー
コラム 旭川大好き、ギャオー 2016年7月20日

鱧(はも)を食べながら考えた。

旭川には魅力的な男はいない。
30万都市という中途半端な規模が
男たちに競争をさせないからではないか、なんちゃって。
怒られそう…でも本当なんだもん!



昨日まで、杏林アカデミー上級講座≪医師・歯科医師限定コース≫の受講のために
京都に滞在していました。


はんなりも度が過ぎると野暮になり、粋も過ぎると下品になる。
この瀬戸際の絶妙なバランス感覚が粋であり
それが京都の最大の魅力です。
それは、気が遠くなるような、長年の試行錯誤の賜物で
一朝一夕に真似のできる代物ではありません。


夏の味覚として、京料理に欠かせない鱧。
「はもの骨切り 手並みのほどを見届けん」との句もあるように
鱧は美味な魚ですが、その調理には非常に手間がかかります。
しかし、輸送技術が発達していなかったその昔
よほど生命力の強い魚でもないかぎり、内陸の京都まで活きたまま運ぶことは難しく
鱧はその数少ない魚でした。
ですから、鱧はある意味必然からの始まりでしたが
それを粋の領域まで高めたのが、京都という街です。

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これが、京都ではなくて北海道だったら?
幾ら美味しくたって、そんな手間隙かかる鱧なんか
誰も、見向きもしなかったでしょう。
鱧と同等、いえ、それ以上に新鮮で美味しい素材が、いくらでも手に入るから。
敢えて、工夫をする必要なんかどこにもないから。



9月末には、駅前の西武百貨店が閉店します。
おいしい生活。
(1980年代における)これからの時代の豊かさは何か
ということを端的に言い表した、糸井重里氏の有名なコピーです。
うれしい、ではなく、たのしい、でもなく、おいしい。
文化的空間と街という概念で
商業主義を見事にオブラートに包み込んだ、優れたキャッチコピー。
私は学生時代、この西武百貨店で、ずっとデパガをしてました。
いわゆる生死に関わる従来の医業ではなく
あえて美容という隙間産業に卒後の針路を決めたのも
このバイト経験に背中を押されたからかも知れません。
大学の周囲の先生達からは、邪道と散々非難されました。
けど、みんなの心の中にある、今より半歩先行く幸せ(欲望)。
その後押しをして、何が悪い? と。

あれから30数年、生鮮食料品以外のほとんどの買い物は、ネットです。
今身につけている、洋服も時計もバックも靴も…全てネット。
かつて私を熱狂させた、西武百貨店ではありません。
ですから、時代に合わない商業形態は淘汰されて然るべくで
それを撤退しないでと陳情する旭川の市長や議員は、愚の骨頂だと思います。
税金の無駄使い。



地盤沈下が続く旭川という街が再生するために
本当に何が必要なのでしょうか?
そもそも、旭川という街の形態を維持する必要があるのでしょうか?
もっと流動的でいいんじゃないですか?

施政者が変わりながらも、今尚、千年の都であり続ける京都。
鱧料理は、極めて京都的な料理だと思います。
北海道で鱧が食されないのは、流通の問題ではなく
そもそもその必然性が、未だに認識されていないだけなの話なのでしょう。